お盆に入る前、家族が脳梗塞になった。脳梗塞が起きた現場に居合わせたのは初めてだったが「ろれつがまわらない」「片側の顔のゆがみ」といった兆候が見られた為すぐに救急車を呼んだ。
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救急車を待つ間、脈をみていた。左右とも沈実の脈だ。実脈はかなり危険な状態の脈であり日頃このような脈をみる事はまずない。私のお腹の底の方で「あかん脈だ」と声がした。
救急車の中で隊員の方が何度も呼びかけをしてくださっている中、私は意識回復を願いつつ母の湧泉を押していた。
おそらく人間の身体は宇宙でいちばんの精密機械であり、何者も真似の出来ない実に精妙なバランスの上にようやく成り立っているものだと思う。その危うさ脆さを、つくづく実感させられた。
その働き(営み)を邪魔してしまうのは私達だ。自分の身体が自分のコントロール下にあるような錯覚をもってしまっている。
現在は、お陰様で危機的状況は脱し日常への復帰を待つ段階となっている。今回のことで身体中の諸々の危険因子が発見されたが、そのいずれもが危ういながら改善の余地はあり、本当に有り難いと思う。荒療治だけれど、おそらくはぎりぎりの最善のところで気付かせてもらえたような気がする。
難局を乗り切るには、愛と感謝、智恵と協力、いずれが欠けてもならない。必然的に無我無心となる。
病院に担ぎ込まれたその日から、父の形見の腕時計が見あたらない。
私が普段使っていたもので当日も腕にしていたものだ。時計置き場にもないし、カバンを探っても見つからない。忽然と消えてしまった。
母の身代わりとなってくれたのだろうか。