生と老と病と死と

その人は世界を旅するフリーのカメラマンだった。氷河や滝など雄大な自然を追いかけていた。
振り返れば、会って話をしたのはたったの三回。数でいうなら少ないかもしれない。

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その人は、私の幼なじみの友人より「元同僚で今はカメラマン」といって紹介された人だ。当時東京で働いていた友人が、たまたま仕事で出張中の私に「せっかく今東京にいるのなら一緒に食事でも」と誘ってくれたのだった。神保町の居酒屋で、取材で撮りためたポジフィルムなんかを見せてもらった記憶がある。

二回目はその数日後。私の友人は世界を飛び回って仕事をしていた人で、そんな世界を飛び回っている仲間達が久しぶりに集まるという事で、その集まりにも招待されたのだった。とにかく「濃い」人達の集まりであったと記憶している。そんな「濃い」人達の中で、その人はお膳やお茶の準備にまめに動いていた。

三回目はそれから五年後。時間でいうなら長いのだろうか?新宿で開催されたその人の個展を友人と共に見に行ったのだった。まだ前の仕事をしていた時で、鍼灸の道に入る事を考え初めていた頃だ。鍼灸師になろうと思っている事などを話した気がする。

その頃の私は屋久島にはまっており、屋久島の森や山の話もたくさん聞いてもらった。山の「色気」についてなど、話しても分かってくれる人はいなかったので嬉しくて、山について熱く語った記憶がある。その時を最後に会っていない。また個展が開催されれば伺いたいとは思っていたのだが、開催される事がなかった。

それから後は時折思い出すとブログを拝見したりして、海外の風景の写真などを見て楽しませてもらっていた。同世代でフリーで働いて活躍している人というのはとても励みになった。自分も頑張ろうと思えた。

ここ数年は私自身の慌ただしさのせいかその人のブログも見ていなかったのだけれど、つい先週久しぶりにその人のブログを見てみようと思い、その人の名前を検索してみると思わぬ記事が出てきた。それはその人の仕事関係者の方のfacebookの記事で、その人の訃報を知らせるものだった。

2015年のその記事の中で「一年前の春に既に亡くなっていた事を知ったばかりでとても驚いている」とあったから、2014年の春に亡くなっておられたのだ。確かにブログの記事は2014年の1月で止まっていた。同世代の人の突然死は、やはりショックだ。就寝中の脳内出血との事。その死因も何だか身につまされる。

不思議なことに、そのfacebookの記事が現れたのはその日一回だけで、翌日からその人の名前を検索してもどうしても出てこない。まさか夢では?と思い、今度はfacebook上で捜索してみたら、やはりその記事はあった。知った人のコメントも寄せられていたので夢ではなく現実だった。二年経ってはいるけれど、これは私のもとに届いたお知らせだったのだろう。近い人にはもっと早く届いただろうし、ようやく私のもとへも来てくれたのかなと思う。

故人を思い出し懐かしむ事は、故人の供養になると思う。いつか会える日を楽しみにしていたけれど、その日は来ないのだと教えてくれた。ならば、数少ない思い出を大切にして、出会えた事に感謝を捧げたい。

銀河高原4

届くかな?

ここしばらく「老・病・死」の記事が続いてしまった。次は「生」の記事を綴っていこう。