もはや大阪の街が嫌いではなくなった

記事を引っ越しする中で書き切れていないなと気づきましたので
「大阪の街が嫌いでした」の記事に補筆します。

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空襲で焼き払われた後に出来た大阪の街は、
バラバラでつぎはぎの、昔からの時間が断ち切られたものです。

街が壊れたということは、生活の器が壊れたという事です。
昔の面影を無くした街は、どのような影響を人に与えるのでしょう?

過去からの時間が分断された、バラバラでつぎはぎの街で生活していたのでは、
不安感や焦燥感が増すことはあっても、心の平安が養われるはずがありません。

不安感や焦燥感は、商売の発展には必要な面もあったと思います。
「安寧」と「発展」は裏表という面もあるからです。

けれども、せき立てられるような「発展」ばかりでは息苦しい。
どこかでバランスをとらなければ、人間は生きていけない。

安心とは、大きな物につつまれる、大きな流れの中に身をゆだねる、
といった時に得られるものだと思うのです。
それは、時間の流れであったり、自然の流れであったりします。

昔からの生活の器といったものが壊れても平気なのは何故なのだろう?
人は一体どこに自分のアイデンティティを投影しているのだろう?
どこでバランスをとっているのだろう?

そのことがずっと疑問で、
古くからの時間の流れるヨーロッパの街に憧れてみたりもしましたが、
自身の視野が広がり深まると共に気づいたのが「四季の流れ」でした。

それこそが昔から変わらず流れてきた時間そのものであり、
その春夏秋冬の自然の営みという何よりも大きな生活の器が、
日本人を支えているのに違いない、とようやく気づきました。

街のビル群ではなく、ビルの谷間の公園の桜にこそ、
我々日本人のアイデンティティが受け継がれているのだなと思います。

建物や街などよりももっともっと大きな自然の営みそのものが、
私達の生活の器なのだと思うようになってからは、
大阪の街の景観も気にならなくなりました。