流れる身体

―臓器や消化管・骨格は、入れ物や管にすぎない。
その中を流れるものこそが、人の身体にとって本質的なものなのである―
「気 流れる身体」石田秀美 著

通勤電車の中で、ちょっと前まで読んでいた本。

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寝る前に読書をしようとしてもすぐに寝てしまうので、
電車の中の読書は確実に頁が進む大切な時間。

私は本を読むのが遅い。
1行読んでは立ち止まり・・気になる言葉があればそれについて思い巡らし・・
と、とても進むのが遅い。

ちなみに女芸人の友近も、本を読むのが遅いらしい。
想像力が豊かな人の特性かも?

「気、流れる身体」では、古代中国の身体観が様々に考察される。

聞き慣れない言葉に出会うと、あたふたしてしまうけれど、
そんな一言一句にひっかかる事をせず、一通り読んでみると、
浮かび上がるのはタイトルの通りに「流れる身体」のイメージだった。

体内に宿り、体内を巡り、絶えず外界と交流し、常に動いている流体・・
「流れる身体」という言葉に表現されている「命のありよう」といったものが、
何となくわかるような気がした。

心のしこりと身体のしこりは無関係ではない、と思う。思いは重い。
ひとつところに思いが留まると、そこには重いものが溜まっていく。

流れる水は濁らない。
人も、思いも、身体を流れる血も、お金も、物も、空気も、水も・・・
すべて流れているのがいい。
「流れる=流れ去る」のではなく「流れる=巡り来る」、循環です。

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