生きた身体を生きたままに

三歳の子供の生体肺移植手術のニュースがありました。親子であるのが幸いで、他人同士の移植ともなれば、 もはや人智を超えているように思えてなりません。

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科学が進歩しても、命の全体はわかりません。瞬間に爆発するようなダイナミックなエネルギーであり、 目には見えない細かいゆらぎでもある、 それが身体であり命です。

生きた身体を生きたままとらえる事は難しく、 こころとからだは切り離して考えられてきました。

鍼灸の立場は、明確です。 生きた身体を生きたままとらえるのが鍼灸です。
こころとからだを切り離すこともありません。

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伝統鍼灸では、様々な症状や病気を「外から突然やってきたモノ」とは考えません。 「外から突然やってきたモノ」ならば「倒すべき敵」という事になってしまいます。

では、様々な症状や病気をどのように考えるか? それは「内から表れたサイン、内から外に現れたひとつの形」と考えます。「病気は外からやってきた倒すべき敵」ではなく「病気も含めて自分自身」と考えます。 病気と身体を切り離しては考えません。

病気を攻撃すれば自分自身も攻撃する事になりますし、そうなれば本末転倒です。

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病気や症状以前に、本来のその人のあるべき姿とはどういったものなのか? 年齢・性別・体格・気質・環境・・・といった様々な条件を持つ、 各人各様の身体のあり方とはどういったものなのか?

そういった基本の「身体観」がきちんとある事が大切だと思います。
その「身体観」の有無が、伝統鍼灸とそうでないものとの決定的な違いです。

その人のあるべき姿が見えない限り、症状に振り回されるばかりです。
自戒と反省を込めて。

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