なんだか不安げな話で止まったままだったので、その後の報告を・・。
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お陰様で無事に退院。入院中は同室の方とも気が合い楽しくおしゃべりして過ごしていたようだ。看護師さんや介護士さん曰く「いちばん賑やかな病室」との事。
目立った後遺症はなく動眼神経の麻痺が少し残る。
運動器の障害は回復が困難だが、眼の方は比較的治りやすいと一般に言われている。
手を動かし、足を動かし、という巧緻動作の大変さを思う。いかに多くの器官が連動しているかということだ。
病院のリハビリでは言語と運動器に重きが置かれ、眼の運動は対象ではなかった。自然に回復するのを待つという事か。
「眼を上下・左右・斜めに動かしてね。団十郎ほど頑張らなくていいけどねー。」
母には時々意識して眼を動かすようにお願いしている。動かそうとする事でより血流を促していく為だ。意識を送れば神経もつながっていく。
父の腕時計が出てきた。入院中の外泊の日に見つけた。外泊許可が出れば退院の日も近い。安心してもいいのかなとようやく思える頃だ。
普段使いのリュックではなく外出用のリュックに入っていたのを見つけた。ここは見ていなかったなあ。
おそらく発作の起きた晩、まず外出用のリュックを掴み時計を入れたところで入院の事が頭をよぎり、大きめのバッグに替えたのだ。
保険証や財布やタオルや着替えなどを荷造りしている間に、先の外出用リュックに時計(だけ)を入れたことなど忘れてしまっていたのだ。
気が動転するとはこういう事か。。
現在の母の脈は「沈実」から「浮虚」へと、しかるべき脈に変化している。良かった。