わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
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久しぶりに祖母を訪ねる。
一人の居間はほのかに暗い。
切り取られたような静けさ。
声をかけ話をして過ごしていくほどに、
祖母の目に精気がやどってくる。
祖母は身の周りの事は自分でしているし、流行にも詳しい。
気配りなど「かなわない」と思う事も多い。
けれども一人で居間に座っている、
祖母の目には精気はなかったのだ。
一人でぼんやりしている時は、
精気はお留守なのだろうか。
話をするうちにだんだんと目に力がやどり、
身体全体に精気がみなぎってくるように感じた。
精気は出入りするものなのか。
或いは明滅するものなのか。
常に一定でそこにあるものではないようだ。
明滅するナントカ・・・
をいったのは宮澤賢治だった。
「せはしく明滅しながら・・」
「たしかにともりつづける・・」
という言葉が、
宇宙から見た人間の、
魂の生き様のようで、
賢治らしいと思う。
精気は出入りするもの、
と考えるとなんだか、
こそばゆいし落ち着かない。
精気は明滅するもの、
と考えた方がしっくりくる。
賢治もそう言っているし。
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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
宮澤賢治「春と修羅」より、一部抜粋
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