「古傷」は古いのではない

古傷が痛むという人は多い。
痛む原因を辿っていくと、数年前の事故や学生時代にスポーツで痛めた事などが思い当たり、子供の頃の怪我にまで遡る事もある。

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例えば学生の頃からずっと同じスポーツを続けている人なら、同じように身体に負荷をかけ続けているだろうし、昔痛めた部分を同じようにまた痛めてしまう事もあるだろう。

そういった、スポーツや肉体労働にみられる「使い痛み」とはあきらかに違う、普段は忘れてしまっているような「古傷」というものが確かにあって、それが実に不思議で仕方がなかった。

解剖学的・生理学的にみて「脳や神経」が「痛みを記憶」しているのだろうか?というくらいしか思いつかなかったけれど、近頃は見方が変わってきた。「古傷」という言葉に惑わされていたなあと思う。

「傷口」が塞がればそこはもはや傷ではなく「傷跡」となりやがて「古傷」となっていく、というのが一般的な認識だけれども、「古い」というのは頭で古いと分類しているだけで、身体にとってはやはり「傷」なのだと思う。

「古傷」というと、昔に終わってしまった事であるかのように感じるけれど、身体にとっては決して終わっていない。古傷は古くはない。今もずっとそこにある。そんな気がする。