「古傷」は古いのではない 2

古傷を古いものと分類しているのは、私達の頭の中にある「社会的な時間」の枠組みだ。

例えば、小学校を卒業して何年も経つと当時の大怪我などは懐かしい思い出となってしまい、大きく開いた傷口や折れた骨などは思い出の中にだけ存在するものとなり、完治した今となってはそれらは済んでしまった過去の事だと思っている。

===
でも身体にとっての時間はきっと、小学校時代を「済んでしまった過去の事」だとは分類していない。

「身体の時間」とは生まれてから(というか胎内から)死ぬ時までずっと一貫して刻み続けている「流れ」であって、その中で起きたあらゆる事はすべて身体の中に刻まれ織り込まれているものなのだと思う。

「大怪我をした」「大病をした」といった経験も、身体の中に刻まれ織り込まれていき、頭の中だけの記憶ではなく、具体的な「身体の記憶」といったようなものに姿を変えて存在していくのだと思う。

それ故、古傷が痛むとか、手術後身体が冷えるとか、疲労が溜まると病気がぶり返す、といったような事が起こる。

「社会復帰=完治」というのはあくまでも「社会的な時間」の中での事であり、「身体の時間」の中では、そういった「区切り」や「終わり」はないのだと思う。